狩猟とは (第九話)

闇夜の転落事故


”あっ!” 小さく叫ぶと フワリと体が浮き 何も無い漆黒の空間へと 吸い込まれて行く感覚に陥る
一瞬の出来事だったにも関わらず私の思考回路では まるでスローモーション画像を観ているような 
長くゆったりした 時の経過に感じた ” ドスン!” 背中に鈍い衝撃を感じると 二度三度と大きく
弾み 急斜面をずり落ちて行く・・・・いったい自分の身に何が起きたのか 追い詰められた我が身とは
別の 冷静にこの状況を見極めている自分に気付く     人間死を迎える一瞬はこんな物なのか?

其れは 昭和60年の冬 当時の兄弟(猟仲間)
四人と 片道四時間掛けての行程で 奥山へと
分け入っての 鹿狩りだった。
”鹿を追う猟師 山を見ず”の例えどおりの失敗を
する事になろうとは まだ 々 経験の浅かった
私達は 其の時思いつく事さえ無かった。


狩山を見渡す頂きで 持ち場を決め固めると
程無く 勢子より放犬入山の連絡が入る
吹き上げる寒風は容赦なく頬を叩き 瞼さえ
ひらけない状態であった。
幾分収まりつつある風を 手で避け望んだ
尾根先へと 先犬のプロットハウンドが其の
姿を現すと 前後して赤毛と白毛の紀州犬が
斜面を動き回るのが見て取れた 其の先では
多くの鹿が跳び出し 走り回る・・・・。
私が立つ 頂きから延びる主尾根上に 待ち場を固めた仲間に向かい 幾つかの鹿が上り出すのが
立ち木の間に見えて来るが 此処からの発砲は止めておいた・・・。  やがて二箇所の待ち場から
幾らも間を置かず 響く銃声!       頃合を見計らっての呼び掛けにも 返事は返って来ない!
どうも半矢を(手負い)追う事で 連絡もおぼつか無い様だ! その場所へと背丈程の藪に覆われた
尾根を駈け下る 他の仲間は速くも合流し出して居るのか人影が視界に入る  ”おい どーした!”
状況を聞くと 主尾根の表と裏に 半矢となった鹿が分かれ逃走 其の追跡へと今から移るとの説明
手分けしてでの回収作業と成る 尾根裏に向かう三人を見送り 私は一人を伴って表の急斜面へと
跳んだ鹿を追い詰める事にした       其の鹿は 其処より若干下った 谷底の小さな滝の上で
静かに横たわって居た。
急ぎ処理を終えると 裏手に向かった仲間との 
合流約束である 馬の背へ這い上がり始めた
やっとの思いで 待ち合わせ地点へ辿り付くと
背嚢を放り出し 倒れ込む・・・・。
裏山へと回り込んだ仲間は 其れから何程も
待たずに 回収を終えて 木々の間から姿が
見え隠れしだした やれやれ。

ザワザワと風にざわめく 笹薮を背に見上げた
空は 急速に闇の世界をこの地へと運びつつ
ある様で この時我々は 重大な過ちを犯して
居た事に 初めて気付いた!
誰も照明の用意を して居ないでは無いか?
何ということだ あ々何たる不用意 不注意!

”ま今まで こんな事も結構有ったし 何とか
成るだろうさ。”
 

其れが如何に甘く 大きく目論見違いだったと
気付く事に 何程も時間は掛からなかった! 
私達の御気楽さを 嘲笑うかの如く 冷えた
大気は 急速に闇を運び来て 其れは月明り
さえも無い漆黒の世界であった 何時の間にか
自分の手の確認さへも することが出来なく
成ってしまったのだ。
今更自らの不注意を責めて見ても仕方なく この状況を如何に抜けきるか 手探りでの下山と成った
日中ならいざ知らずこの闇では 非常に危険を伴うルートと成るだろう 気が滅入って来る! こんな時
其の位置から動かないのがセオリーだが このまま帰らなければ 麓で遭難騒ぎと成りかねない。
何とか下山しなければ! 背嚢の中から非常食のコンビーフを出し 一口づつ分け合い 残る空き缶に
固形燃料を受け着火 全員一列の早足で駆け下る 通常一時間のルートが 三時間経っても まだ
車止めまで辿り付く事が出来なく もう少しの処で 固形燃料も切れてしまい 再び闇の世界に戻る
其処で事故は起きてしまった! 岩から岩へと跳ぶ其の時 一頭分の鹿肉が入る背嚢に 身を振られ
バランスを崩すと 闇の中へと放り出された。

”此れは もう駄目かな!” 一瞬の閃きに多くの出来事が 脳裏を掠めて行った この下は切り立つ
断崖が有り 其処まで落ちたら まずお終いだろう・・・・?   其の時滑り落ちて行く体が 何かに
引っ掛かると 一度上方へ向け 体を振られ”ズズーッ!”と止まった ”ハァーッ!” 大きく溜息をつき
自分の現状を手探りで確認 何と腕程の立ち木に右足が掛かり 辛うじて身を支えて居るではないか!
したたか打ち据えた背中も 背嚢内の肉がクッションと成り 大事には至らなかった様だ 何たる幸運
頭上の暗闇から 心細そうな呼び掛けが響く ”お〜い 大丈夫か〜!” ん 大丈夫だ 生きて居る
まだ生きて居るぞ! 体中に血が巡り 気力が満ちてくる   ”おーい 大丈夫 大丈夫だぞー!”
仲間に向け腹の底から声を絞り 叫び返して居た。

                                                      OOZEKI